自然派ワイン、ナチュール、オーガニック、有機栽培等々、現代人は「自然」を好みます。一体、人々は何を求めているのでしょうか。
第一に「健康被害を避ける」ことでしょう。森永ヒ素ミルク事件・カネミ油症事件・雪印集団食中毒事件・農薬餃子事件・ほうれん草残留農薬事件・メラミン牛乳事件あるいは、1985年オーストリア産ワイン・ジエチレングリコール混入事件など食品による健康被害事件は例を挙げればきりがありません。農薬は昆虫や細菌を殺すのですから同じ生き物である人間にも毒であり、避けるべきであると考えるのは当然です。
しかし一方で、人間は常に毒物を摂取しているのも事実。食塩の半数致死量(LD50)は3 g/kgであり、体重60 kgの人ならば180 gが致死量です。塩を一気に180g食べる人はいないと思いますが、醤油を1 L飲む人はいるかもしれません。アルコール(エタノール)の致死量は血中濃度で400~500mg/dLですから、ほろ酔い状態の5倍飲めば死に至ります。死に至らなくとも、国際がん研究機関 (IARC) 発がん性リスク一覧によると、グループ1(ヒトに対する発癌性が認められる、化学物質、混合物、環境)に、エタノール、アセトアルデヒド、アルコール飲料、紫外線があるので、畑仕事をしてワインを飲んでいるとガンになるということになります。つまり、人間の身近には常に健康被害物質は存在しており、被害に至るか否かはあくまで程度問題なのです。
ではどの程度なら被害がないのでしょう。一部の猛毒を除いて、殆どのものは少量であれば大丈夫とはいうものの、少量とは何グラムで頻度は何回なのか、ある程度明確にしなければ、程度を判断することができません。そこで、様々な研究が積み重ねられ、ルールが作られています。農薬取締法、毒物及び劇物取締法、食品安全基本法、食品衛生法、環境基本法、化学物質排出把握管理促進法、化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律、あるいは国際基準であるCodex MRL(Maximum Residue Limits、残留基準値)など、多くの具体的制限があります。これは個人的意見ですが、無農薬=健康被害が避けられる、この可能性はかなり高いですが、ルールを守る=健康被害が避けられる、この可能性も十分に高いと思います。農薬を過剰に避けることは、健康被害を避けるために不必要ということです。
第二に「環境負荷を避ける」があると思います。その一つは人間の健康被害と同様に人間以外の生物の健康被害に対する心配です。これは人間と同様に程度問題ですが、自分自身で健康被害を実感する人間と異なり、環境中のどの生物が健康被害を受けているのか分からないことが大きな問題です。しかも、食物連鎖や寄生と宿主の共生関係が複雑に絡んでいるため、一カ所が壊れれば、全体に大きな影響が及ぶこともあり得ます。この点は特に注意しなければなりません。ただし、人間が、小さな一生物が死ぬことを本当に憂いているのか、回りまわって、獲物や収穫物が手に入らなくなるなど自分自身に影響が及ぶことを心配しているのか、そこはわかりません。Win-WinあるいはNot lose-Not loseの関係であればOKとしましょう。
もう一つはエネルギーレベルの環境負荷です。産業革命以降、化石燃料の使用や森林の減少により、二酸化炭素など温室効果ガス濃度が増加し、地球が温暖化していることは紛れもない事実です。とはいうものの、これは地球規模の話であり、誰がどれだけ被害を受けるのか、因果関係を含め、明確ではありません。だからといって、このまま放置すれば、良いこともあるかもしれませんが、トータルとして人間への被害は大きくなるでしょう。
IPCC報告書によると、太陽から放射されて地球に入ってくるエネルギーより地球から吐き出されるエネルギーの方が少なく、その差は、過去40年で、213×10^12W(1秒間に213×10^12J=5×10^10cal)のペースだそうです。この量が人間の活動によって熱に変えられ温暖化を惹き起こしているわけですが、これを抑えようとすれば、地球の人口は78×10^8人ですから、一人当り27kWを熱に変換せず保存しておかなければなりません。10畳用エアコンが2.7kWですから、一人づつ年がら年中10畳用エアコン10台分を節約しなければならないことになります。とてつもないエネルギー量です。一方、植物は太陽のエネルギーを吸収し、有機物を生産しています。人間には出来ない超能力です。地球上で最も大量に存在する有機物はセルロースで、植物は太陽光と二酸化炭素と水からせっせとセルロースを作り続けています。セルロースは概算で20×10^9J/tonのエネルギー量ですから、これを一年かけて作るとすれば、6.3×10^2W/tonのペースでエネルギーをセルロースという固体に溜め込むことができます。先ほどの213×10^12Wをセルロースとして溜め込むとすれば、毎年340×10^9tonづつ増やせば足ります。地球の陸地の表面積153×10^12㎡で割れば、2.2kg/㎡です。つまり、自然は草木を生やし、それが朽ち果て(草木を分解する微生物が代謝によって排出する二酸化炭素は無視します)土に戻る。その上にまた草木は育ち、やがて朽ち果てて土に戻り、土が増えていく、その量が年間2.2kg/㎡になれば、地球は温暖化せず人間に被害が及ばないということです(人間は見苦しいと言いますが、耕作放棄地は環境負荷が少ない好例といえます)。このような、自然による熱エネルギー回収、これが、人々が求めている自然によって環境負荷を避ける効果なのではないでしょうか。ここまで理屈を考えている人は多くないと思いますが、人々が自然を大切にするという意識は、自然を取り戻せば被害が減ることを経験的に実感しているから生まれるのだと思います。
現在推し進められている二酸化炭素排出削減は、213×10^12Wを地球から吐き出すために二酸化炭素という蓋を取り除こうという考え方ですが、できてしまった蓋は、これ以上厚くなることは防げても、薄くするには到底及ばないので、植物の超能力である光合成を利用して、太陽から来るエネルギーを二酸化炭素の回収と同時に固定して溜め込むという方が、効果的であり経済的であると個人的には思います。つまり、緑を増やしてセルロースを作り貯めするということです。
加えて、化学肥料や化学農薬を生産する際のエネルギー消費も見逃せません。タンパク質と核酸には窒素が必要で、窒素肥料のアンモニアは世界で年間約1.4億トン作られているそうです。ハーバー・ボッシュ法という空気中の窒素を高温高圧で固定する方法で作られており、製造に使われるエネルギーは、44.6×10^6J/kgということですから、1.4億トンをかけると、年間で62.4×10^17Jが消費されることになります。1年31.5×10^6秒で割ると、2×10^11Wというペースです。これは最初に出てきた地球のエネルギー増加ペースである213×10^12Wの0.1%を占めます。また、脱炭素の観点では、アンモニア肥料の生産から使用において、二酸化炭素排出量は、温室効果ガス排出量全体の2.1%を占め、そのうち、生産過程での排出割合が約39%、使用時における割合が約59%だそうです。とにかく窒素肥料だけで決して無視できない負担となっており、これを使わない(作らずに済む)自然農法を人々は求めています。
また化学窒素肥料は、腐食や微生物バイオマスと異なり雨で流出しやすく(作物に吸収される量は半分程度)、窒素肥料から生じたアンモニアが、硝化菌による硝化反応によって硝酸に変換され、これが地下水を汚染し、人間が飲用すると、メトヘモグロビン血症を引き起こします。さらに、化学窒素肥料をアンモニア酸化菌が亜硝酸イオンに変換する際の副産物として一酸化二窒素が生成され、温室効果とオゾン層破壊の原因となります。化学肥料は「健康被害」と「環境負荷」の両者の原因なのです。
因みに、日本には、JAS法(日本農林規格等に関する法律)、すなわち飲食料品等が一定の品質や特別な生産方法で作られていることを保証する制度があります。その下に、有機JAS(有機農産物等に係る検査認証制度)があり、第2条「農業の自然循環機能の維持増進を図るため、化学的に合成された肥料及び農薬の使用を避けることを基本として、土壌の性質に由来する農地の生産力を発揮させるとともに、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した栽培管理方法を採用したほ場において生産すること。採取場において、採取場の生態系の維持に支障を生じない方法により採取すること。」と書かれています。ほぼ上記の主旨と同じなのですが、禁止する化学的処理のリストから、草木を燃やすことが除かれており、またプラスチックマルチの使用はOKとなっているので、(硫酸銅と生石灰(ボルドー液)がOKは有名です)少し違和感があります。
以上、人々が自然派やナチュールなどという言葉に、「人間とその他生物の健康被害を避ける」ことと「自然が地球環境を維持する」ことを求めている様子を眺めてみました。
では次に、この観点から、農業及びブドウ栽培を振り返ってみましょう。
まず、人間への健康被害については先に述べた通り、ルールを守って農薬を使用すれば十分だと思います。しかし人間以外の生物については実態が見えなく、判断がつきません。無農薬を目指しつつ、使用が避けられない場合であっても、できるだけ少量で、的を外すことなく丁寧に農薬を撒くということを心掛けなければなりません。。。
いやいや、ちょっと立ち止まって考え直してみましょう。そもそも農業は、目的とする農作物のみを成長させ、そのほかの植物を絶やすことが仕事です。そのために害虫や害獣を殺すことが仕事です。「生物の健康被害を避ける」どころか、目的以外の生物を絶滅させることが農業なのです。農業は山菜取りではないのです。広い土地を人間が独り占めして、特定の欲しい農作物以外を排除しているのです。自然な農業、農業による環境維持などという言葉は、そもそも大きな矛盾を孕んでいるといわざるを得ません。
さらに、ワイン作りには、より大きな矛盾があります。まず、ワインが外来種です。日本のワインには140年ほどの歴史しかありません。この短い期間で、日本酒の健康を大きく害しているのではないでしょうか。というのは冗談としても、ヨーロッパ品種のブドウは外来種でありながら、急激に勢力を広げています。また、畑で作られている野菜や果物は、殆どが外来種で人間が手を加えなければ成長することができない特殊な生物です。この特殊な生物が土地を占領しています。これは自然なのでしょうか。毎年ブドウを収穫すれば、最終的に人間の口に入り燃焼し二酸化炭素として排出されます。土には戻りません。剪定した枝は嵩張って仕方がないので燃やして二酸化炭素にするしかありません。土に蓄えられるのは、刈払いした下草ぐらいです。(因みに、「剪定」は見方を変えれば、ブドウの木の虐待であり、労働強化、労働搾取です。ブドウの木はブラック企業だなどと文句を言うことなく、折角伸ばした枝が切られたので、勢力を挽回しようと、健気に実をならし続けてくれます)例え無農薬、無施肥でブドウを作っていたとしても、そもそもブドウ栽培が自然ではなく、他の生物の健康を害しているし、環境を破壊しているのです。
と、考えると、自然派ワインを買って、「人間とその他生物の健康被害を避ける」「自然が地球環境を維持する」として悦に入っている我々は、勘違いも甚だしく、マスターベーションに励んでいるとしか思えなくなります。
さて、それではどのような態度を取るべきなのでしょうか。少なくとも、農業が環境破壊行為であることを認識しつつ、その影響を小さくする努力を惜しまないことが最低限必要でしょう。でもそれだけではマゾヒスティックで面白くありません。ポジティブな思考として、「自然を利用して作るとおいしい」を追求すればよいのではないでしょうか。
あるイチゴ生産者の方に、施設栽培と露地栽培では、圧倒的に露地栽培がおいしいという話を聞いたことがありますし、僕自身実感しています。魚でも天然ものと養殖もので違いを経験している人は多いでしょう。天然もの、天然に近い自然栽培には、何かがあるはずです。
生物はエネルギーを獲得し細胞を作るために養分を取り込まなければなりません。これが進化して、体を構成する4大栄養素(有機化合物)、糖質、脂質、タンパク質、核酸を食べておいしいと感じるようになっています。他の生物はわかりませんが、人間は贅沢な生物で、単においしいだけではなく、おいしいにも様々なランクがあります。例えば芋のデンプン(糖質)だけを食べていても、ブドウのグルコース(糖質)だけを食べていても、おいしいのですが、それだけでは飽きてしまい満足できません。甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の五味が揃うと、よりおいしいという感覚が得られます。さらに、例えばうま味であっても、グルタミン酸ナトリウム(昆布ダシのうま味成分/タンパク質を構成するアミノ酸の一種)、イノシン酸ナトリウム(鰹ダシのうま味成分/核酸の一種)、グアニル酸ナトリウム(キノコのうま味成分/核酸の一種)、コハク酸ナトリウム(貝類のうま味成分/有機酸(クエン酸回路の成分))などがあり、これを組み合わせると相乗効果があって、よりおいしく感じることが知られています。また、味の他に、においについても同様のことがいえます。単に甘い香りだけではなく、ちょっと酸っぱい香りが混じっていた方がそそられます。ワインであれば、果実、花、草木、土、スパイス、焦げ臭、動物、乳製品、発酵、薬品など様々なにおいが混じっており、一概には言えませんが、種類が少ないよりは多い方が好まれます。それだけ人間は、味やにおいを分別し評価する能力を獲得しており、これを一度に食べる方が、喜びを感じるように進化しているのです。
これら栄養素とにおい成分は、生物の細胞に収まっているのですが、その種類や量は、様々です。ここに、施設栽培と露地栽培、天然と養殖の差が生じると考えられます。
人間は足で移動して手で取って栄養を口にすることができます。だからでしょうか、代謝経路は一次代謝のみで単純です。細胞質ゾルにおける解糖系と、ミトコンドリアでのクエン酸回路と酸化的リン酸化です。これは真核生物に全て共通しています。植物はこれに加えて細胞内に葉緑体があり、光合成ができますから、わざわざ人間のようにムダに走り回る必要がありません。また、植物と一部の微生物では、クエン酸回路以外に、その変形であるグルオキシル回路を持っており、炭素数を減らすことなくオキサロ酢酸に至ることができます。さらに植物や微生物は、一次代謝物から供給されるアミノ酸や糖、低分子化合物を材料にして二次代謝を行うことができます。この経路と二次代謝産物は生物種によっても同一種によっても多種多様であり、その代謝の発現も、病害菌感染、病害虫に対する防御や、花粉を媒介する昆虫の誘因、強光や乾燥などからのストレスの緩和など様々です。
人間が収穫し、口に入れる時、どの代謝を止めた状態なのかわかりません。光合成で糖質をたっぷり溜め込んだだけの状態なのか、クエン酸回路でクエン酸になっているのか、コハク酸になっているのか、リンゴ酸になっているのか、あるいは二次代謝でテルペノイドが多く作られているのかわかりません。ただ少なくとも、施設栽培や養殖ものは、事件やストレスが少ないので、単調な代謝、単純な生成物で構成されている傾向が強いといえるのではないでしょうか。逆に露地栽培や天然ものは、良し悪しは別にして、様々な事件やストレスにさらされて、生成物が複雑になっている可能性が高い思われます。これが、「自然を利用して作るとおいしい」の原理です。雨量の多い岐阜で、水のストレスに晒され、もがき苦しむブドウがどのような代謝をするのか、その味に期待するのも悪くないと思います。
さらにワインの醸造の場合は、酵母によるアルコール発酵の過程で同様のことがいえます。人工選抜酵母or天然野生酵母の問題です。メリット、デメリットはさんざん議論されており、あとは思想次第というところですが、日本でも天然野生酵母の研究が多く報告されています。例えば、<ワイン醸造環境における酵母相及び有用酵母株の選択育種・山梨大学発酵化学研究施設・篠原隆・ASEV Jpn 1997>では、選抜酵母添加の場合、2日目で添加酵母が98%を超え6日で発酵が終了したのに対し、野生酵母で自然発酵させた場合、3日目までは、クロッケラ属とキャンディダ属で占められていたが、6日後にはサッカロミセスが10%に、9日目には70%に増加し、そのまま12日間発酵が継続したことが報告されています。また、<出羽三山縮物体からのアルコール発酵能を有する野生酵母の単離・東京バイオテクノロジー専門学校・藤野舜一他・J.Brew.Soc.Japan 2016>では、出羽三山の樹木6種の樹皮から261株の酵母を単離し、その内61株がアルコール発酵能を示した。<白神山地から分離した酵母 Saccharomyces cerevisiaeの利用・弘前大学・殿内曉夫他・醸協 2016>では、主にリター、樹皮から、サッカロミセス セレヴィジェが87株、サッカロミセス パラドキサスが106株、サッカロミセス ミカタエ11株が分離された、との報告があります。このように、山野には多種多様な酵母が多く存在し、この天然野生酵母が自然発酵すれば、場面に応じて多種多様に活性が移り変わるということです。厳密に比較することは困難ですが、何となく、人工選抜酵母より天然野生酵母の方が、予想外のおいしさを導いてくれるような気がします。これも代表的な、「自然を利用して作るとおいしい」の一つです。
このことは畑の土の中も同じです。選抜した草木、選抜した栄養分による貧しい土壌微生物、土壌劣化という近代農業の課題は、おいしさの劣化にもつながっていると思います。豊かな土壌微生物を育み、多種多様な物質が活発に循環する畑が、「自然を利用して作るとおいしい」を成立させてくれると考えます。
ドメーヌヒサマツは、そもそも農業が環境破壊行為であることを認識しつつ、その影響を小さくする努力を惜しまないこと、そして「自然を利用して作るとおいしい」を追求することを信条としています。
(2023/12月)