造り手が人生で最も影響を受けた本の一つが「利己的な遺伝子/リチャード・ドーキンス(1976年)」です。少しご紹介します。
働きバチは命を懸けて侵略者を刺す。小鳥は自らの危険をおかして擬態する。ユリカモメは、隣の巣の雛を丸呑みする。カマキリは交尾中にメスがオスを食べる。ペンギンは誰かを水中に落とそうとする。これを見て、生物は利他的だ、利己的だと言うことはナンセンスで、自己利益の基本単位は遺伝子である。自然淘汰は、群淘汰でも個体淘汰でもなく遺伝子淘汰である。そして、我々生物個体は遺伝子の生存機械であり遺伝子の乗り物と見做すことができる。遺伝子が、長生きだが寿命がある・自らの複製を作ることができる・多く複製できる・複製は正確だがまれに複製ミスがある・その結果競争により生存率に差が生じるいう条件が揃えば進化が起きる。意識とは、実行上の決定権をもつ生存機械が、究極的な主人である遺伝子から解放されるという進化傾向の極致であり、意識を持つ人間は特殊ケースである。
といった内容が書かれています。造り手は大学を卒業してすぐの頃にこの本を読み、世間を見渡すときにかかっていた深い霧が一気に晴れ上がった気分になったことを記憶しています。それ以来、この本は造り手のバイブルとなりました。
この本の最後に「延長された表現型」という考え方が登場します。これは、その遺伝子が属する生物体の外側の世界にまで及ぶ表現型効果として定義されています。典型例としては、ビーバーのダム、鳥の巣、トビケラの幼虫の巣といった造作物です。トビケラの幼虫は、大きな石の下に小さな石をいくつもつなぎとめて巣を作りますが、この小さな石の塊りのための遺伝子がトビケラにあるというのです。少し違和感があるかもしれません。しかし、もともと遺伝子が直接影響を及ぼすことができるのはタンパク質合成だけであり、目の色や豆のしわの遺伝子も、巣の石の塊りの遺伝子も何れも間接的に影響しているという意味では同じであり、石の塊りはトビケラの遺伝子の延長された表現型効果ということができるのです。同様に、胞子虫の一種は、コクヌストモドキ属に感染し、幼虫の幼若ホルモンを大量生産することで、成虫になることを阻止して通常の2倍以上の巨大な幼虫に成長させます。この巨大化は、胞子虫の遺伝子の延長された表現型効果です。フクロムシはカニに寄生すると、根糸をカニに潜り込ませ栄養を吸い取ると同時に、精巣あるいは卵巣を攻撃し去勢します。するとカニは肥った去勢牛のように肥大化します。これも延長された表現型効果。風邪ウイルスは我々にくしゃみをさせて別の宿主へ移り渡る。狂犬病ウイルスは通常は大人しい犬を凶暴なかみつき犬にしてウイルスを撒き散らせる。これも同じ。さらに、カッコウの遺伝子はヨシキリの体内では生きていないし、カッコウはヨシキリの血を吸ったり食べたりしないが、カッコウはヨシキリの寄生者であり、里親(ヨシキリ)の行動を操るカッコウの適応は、カッコウの遺伝子による延長された表現型の遠隔作用と見做すことができます。
このように自然の摂理を解釈すれば、畑でせっせと働いている造り手の動作は、メルローの遺伝子の表現型効果であると見做せます。この整然と列が並んだ畑も、メルローが病気にならないように草を刈るのも、全てメルローの遺伝子が陰で糸を引いているのです。メルローを利用しておいしいワインを作っているようで、実はメルローに作らされ、メルローの遺伝子を保護しているのです。
メルローはクローンで増やされており、コピーミスがなく進化できません。その代わり、人間をメルローの保護者として進化させています。
なんと味わい深いことでしょうか。
(2023/1月)