ワインは昆布

 テロワールという言葉がありますが、その意味は明確ではなく、人によってとらえ方は様々です。「福田育弘著/自然派ワインを求めて/教育評論社」では次のように整理されています。

 地質の構造や土壌の成分、地勢、気象、生態系など自然条件を中心とした見方を「土地柄性としてのテロワール」、土の搬入、品種の選定、忍耐強い労働、長い歴史によって培われたその土地の慣行(栽培法や醸造法)など人為的作業を中心とした見方を「風土性としてのテロワール」と分類した上で、一般的にテロワールを「土地柄性としてのテロワール」に還元しがちだが、人間の労働が長期にわたって加わることにより自然と調和し一体化したブドウ畑ができるのであり、特に歴史の浅い日本では「風土性としてのテロワール」が認識としても実力としても不足していると述べられています。

 全くその通りだと思う一方、テロワールという言葉自体はどうでもよい言葉だと改めて感じます。

 テロワールという言葉をワイン愛好者が好んで使うのは、ワインに物語性を持たせたいからではないでしょうか。単に好き嫌いだけでは会話が盛り上がらず、「どんな土地で、どんな天候で、誰がどんな苦労をして作ったのか、だからこういう味になった」という会話をしたいのです。でも正確な因果関係は誰にも分らないので、ひっくるめてテロワールと言ってしまえばとても便利です。正確なストーリーが分からなければ、テロワールと言っておけばよいのです。というわけで、テロワール自体はどうでもよいとして、重要なことは、自然条件や人為的作業によって、ワインには大きな「差」が生じているということです。

 ワインは、例えば日本酒と比べても、味や香りの幅が大変広く、また、良し悪しの判断の幅も広く、ワインとしての大きな「差」が愛好者に受入れられている面白い飲み物だと思います。しかし、その差は工業製品のように設計・コントロールすることが難しく、結果的に生じた差の原因は何なのかは、造り手にさえ正確には分かりません。でも研究すればある程度推測することは可能です。造り手としては、この推測自体面白い作業ですし、飲み手としても想像を巡らすことはワインの楽しみの一つになっています。

 さて、僕はいつも思うのですが、「土地柄性としてのテロワール」の日本の代表選手は昆布なのではないでしょうか。

 昆布は、オクロ植物褐藻綱コンブ目コンブ科 (学名:Laminariaceae )に属する海藻で、日本列島では北海道沿岸を中心に三陸海岸など、寒流の親潮海域に分布しています。

真昆布(Saccharina japonica):主に津軽海峡〜噴火湾沿岸で獲れる道南産の昆布。だし汁は上品で透き通っていて、独特の甘味がある。

羅臼昆布(Saccharina japonica var. diabolica):知床半島の根室側沿岸のみに生息。濃厚な味のため、関東地方、北陸地方などではだし昆布として好まれる。食用にも適している。

利尻昆布(Saccharina japonica var. ochotensis):利尻島、礼文島及び稚内沿岸で獲れ、味は薄いが、澄んでおり、やや塩気のあるだしが採れる。素材の色や味を変えないため、懐石料理や煮物で重宝される。

このように、昆布は生息地によって大きく味が異なり特徴が明確です。しかもどれも日本を代表する高品質昆布として評価されています。昆布は殆ど天然ものなので、土着品種として自然に住み分けされているのですが、日本人は、昆布のこの「差」を発見し、分類し、味や香りを楽しんでいます。昆布にテロワールという言葉を使うことはありませんが、見事なテロワール事例だと思います。

 これが、本当の「土地柄性としてのテロワール」だとすれば、日本ワインの場合、テロワールの中身はほぼ全てが「風土性としてのテロワール」といえるかもしれません。そもそも自然条件という意味では、日本中程度の差はあれど、ワイン用ブドウの最適地とは程遠い過酷な自然条件でブドウを栽培しています。そのハンディの大きさによって第一の「差」が生じます。しかし次に、造り手が自然条件に立ち向かい、あるいは寄り添い、知恵と工夫と労働で第二の「差」が発生します。この時第一の差を逆転するかもしれませんし、差は大きく広がるけれど、両者とも良質な異方向として評価されることになるかもしれません。こうして生み出された「差」を、テロワールという言葉を使うかどうかは別にして、滲み出る造り手の人格や人柄として感じることができれば、飲み手として非常に楽しいのではないでしょうか。

 こうして考えると、ブルゴーニュのピノノワールは昆布といえるかもしれませんが、良いのか悪いのか、日本ワインは昆布とは程遠いものといえそうです。

(2024/1月)