複雑な方がよい(ワインは音楽)

 元会社でゴルフクラブの研究をしていたころ、一時期、音マニアになっていました。打感を良くするためには、打球音を良くする必要がある、良い打球音とは何か、それは音の周波数、大きさ、周波数ピークの個数、不協和度などで統計的に表すことができる、といった研究をしていたからです。<鍛造アイアン打感の追求・ミズノ㈱グローバルゴルフ企画開発室 久松吾郎・自動車技術・Vol65,No10,2011> このとき、音楽の科学的メカニズムを調べていると、興味深い記述に出会いました。

 [ヘルムホルツは、1855年に、オームの法則とピタゴラスの協和則とを説明するために、“耳の内耳のところに多数の音の共鳴器があり、入ってきた音によって、これらの共鳴器が共鳴して聴感が引き起こされる。そして入ってきた二つの音によって、共通に刺激を受ける共鳴器の数が多いほど、これら二つの音がより良く協和する”とした、聴感の共鳴説を提案した。ヘルムホルツはこの共鳴器を具体的に調べることはしなかったが、ずっと後の1943年になって、ハンガリーの生理学者ベケージが実際に解剖を行って、内耳の基底膜上の筋肉組織に、この多数の共鳴器が形成されていることを突き止め、ヘルムホルツの共鳴説が正しいことを実証的に裏付けた]という内容です。これは聴覚だけでなく、味覚、嗅覚にも共通しているのではないでしょうか。

 現実に、ウェバー・フェヒナーの法則があります。ウェバーが1834年に、人が物を持った時に感じる重さの感覚について、知覚しうる重さの感覚の変化(心理量)を生じるのに必要とされる重さの変化(物理量)は、今、手に持っている重さ(物理量)に比例して大きくなり、そのとき、感覚量は、その感覚を引き起こす刺激量の対数に比例することを発見した。後年フェヒナーは、この法則が単に重さの感覚だけでなく、あらゆる種類の感覚についても広く成り立つことを主張したというものです。具体的に、音の調子を与える音階は周波数の底を2とする対数に比例します(周波数が2倍で1オクターブ上がる)。嗅覚でも、におい物質の濃度に比例して強くなった弱くなったと感じるのではなく、におい物質が97%除去できて初めて半分になったと感じるそうです。脳は各種の感覚信号を同じように処理しているのです。

 さて、においは、鼻腔最上部の嗅上皮にある嗅毛というセンサーで、におい物質とセンサーが鍵と鍵穴が合うように反応し検知します。人間はそのセンサーを約400種類持っているといわれ、その組み合わせはほぼ無限でから、数十万種類あるといわれるにおい物質を嗅ぎ分けることができるそうです。ここから先は、まだよくわかっていないようですが、心地よいにおいと感じるか、不快なにおいと感じるかは、和音としての気持ち良い音色と不協和音としての不快な音色を聞き分ける聴感(共鳴説)と共通して、嗅毛センサーの並び方による、刺激を受ける嗅毛センサーの数によって、決まるのではないかと想像します。

 つまり音楽で、単調な音や不協和音ではなく、複雑な音の重なりや和音を心地よく感じるのと同じように、味覚、嗅覚も、単純単調な味やにおいではなく、複雑な方が気持ちよいと感じているのではないでしょうか。

 さらに飛躍すると、複雑さは心地よさにつながる可能性が高いといえます。聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの感覚は、人間が、それを感情として言語化するとき、過去の経験に照らし合わせて無意識に良し悪しを判断しているように思います。例えば、ワインの中に落ち葉や腐葉土の匂いを感じたとき、単純に落ち葉を思い浮かべるだけではなく、幼い頃、クワガタ取りに朝早く山に分け入り、さんざん探し回ってようやく宝石のような獲物を見つけた感動のシーンや、落ち葉が溜まった坂を滑り台にしてキャッキャ言いながら駆け回ったシーンを思い出すことにより、しみじみ心地よい匂いだと判断していると思うのです。ですから味やにおいが複雑なほど、多くの経験にヒットする確率が高くなり、感情が揺り動かされ、気持ちよくなる確率も高くなると考えます。 

 因みに感覚と経験の記憶は生活環境により異なります。カンカンという甲高い音は、ヨーロッパの人は日曜日の教会の鐘の音を連想し心地よく感じますが、日本人は遮断機の騒音を連想し良い気がしません。という違いに合わせて、ゴルフクラブの設計も国に合わせて変える必要があるのか検討した時期がありました。ワインにも同じことがいえると思います。いわゆる自然派ワインは、実は日本が世界を先導しているという意見があります。これは、もともと日本の食べ物は薄味でありながら旨味が多いこと、発酵食品が多く、なかでもヨーロッパの発酵乳製品と異なり、野菜を発酵させた食品が多いことが関係していると思われます(ヨーロッパではメインの後にチーズ、日本では漬物)。日本人は漬物などに特有の酸味に馴染んでいるために、いわゆる自然派ワインに共通した旨味と酢酸系の酸味に好感を持つのではないでしょうか。

 音楽でも、ヨーロッパのCメジャースケールの音階に対し、日本人は日本古来のヨナ抜き音階(ペンタトニックスケール)の方が深く心を揺さぶられます。人間が持つ原初的な感動センサーは、育った環境によって感度が多少異なっているのだと思います。

 ということで、音楽(聴覚)とワイン(味覚嗅覚)の共通性は高いのですが、個人的直観で無理やり結びつけるとすると、ボルドー5大シャトーは、オーケストラによるベートーベンやブルックナーの交響曲で、ブルゴーニュのグランクリュは、ショパンやリストのピアノ協奏曲に例えられるような気がします。日本のワインは、やはりオーケストラ音楽というよりは、Jポップに似ているような。農楽蔵はポップロックを公言されています。ドメーヌヒサマツはaikoを狙います(笑)(とにかく音楽になれば十分なのですが、、)

 確かに、ワインは栄養補給として飲むものではなく、感動したり、癒しや興奮を得たり、より良い感情を得るために飲むものですから、マーケットやターゲットも音楽と共通しているように思います。でもそれは、ファッションやデザイン、ガストロノミーなど何にでも共通していて、今や全てがエンターテインメント産業に括られるのかもしれません。。。

(2024/1月)