麻井宇介さんが提唱された「宿命的風土論の超克」を具体的に実践するには、この地の長所短所を理解することが大切です。フランスの銘醸地と、ここ濃尾平野の北端を比べてみましょう。
最大の短所は雨量。ボルドーやブルゴーニュは年間降雨量が700~1000mmであるのに対し、岐阜は1800mmにもなります。病原菌の天国です。ただしこれに比例して土壌の肥沃さは岐阜の方が相当に高いといえるでしょう。雑草やブドウの木の大きさを比較すれば一目瞭然です。湿潤な気候によって、土中も地上も生命活動が活発になり、有機物や窒素化合物の量には大きな差があると思われます。しかしこれも短所と言えるかもしれません。木の成長が旺盛であると実の成長や成熟が疎かになるためです(栄養成長から生殖成長に切り替わらない)。
一方、岐阜の日照時間は年間2100時間を超えており悪くはありません。しかもボルドー、ブルゴーニュは北海道北部と同等の北緯45°程度に対し、岐阜は北緯35°であり、岐阜の方が強い太陽光が得られます。これは光合成による糖質の生産量が多いことを示します。大きな長所と言えますが、糖度が上がったところで雨量が多ければ高い浸透圧で水が供給され水膨れ状態になってしまいますので微妙なところです。
では、土壌に目を向けてみましょう。砂礫土壌か粘土質土壌かという比較は主に砕けた岩石の粒の大きさを表しており、水はけの良否に関わります。濃尾平野の北端は、細粒質普通灰色低湿地土という沖積土壌が広がっています。水持ち、保肥力が良い反面、通気性や水はけが悪いという特徴があります。水はけのよいブルゴーニュの砂礫土壌と比べれば短所といえるでしょう。因みにブルゴーニュは石灰岩が多いとのことですが、これは堆積岩の中でも生物の死骸から成る生物岩の一種で主成分はサンゴ由来の炭酸カルシウムです。濃尾平野の北端では、土に風化する前の岩石としては、同じく生物岩のチャート(主成分は放散虫由来の二酸化ケイ素)と北部から流れ着いた火成岩の一種である花崗岩(主成分はマグマ由来の二酸化ケイ素)の二つが混ざっているようですが、いずれも主成分は二酸化ケイ素です。これは結晶性粘土鉱物の代表的材料です。粘土鉱物の構成によりカオリナイト、スメクタイト、バーミキュライト、そして黒ぼく土のイモゴライト等の分類があります。この地は黒ぼく土でないことは間違いいありませんが、正確にどれなのかはわかりません。因みにシャトー・ペトリュスの畑はスメクタイトだそうです。(ドメーヌ・ヒサマツでは、シャトー・ペトリュスを真似て、粘土質土壌に合うといわれるメルローを選択してるという一面もあります。)さて、土壌中の微生物はどこにいるのでしょう。割合としては圧倒的に粘土画分だそうです。粘土は粒子が最も小さいので比表面積が大きく、また表面は電荷を帯びているので微生物が吸着しやすいのが理由です。つまり、濃尾平野北端のこの地には微生物が溢れているということです。一般的にヨーロッパの方がミネラルが多いといわれますが、あくまで相対的な話であり、日本は有機物が多いということの裏返しです。土壌中の微生物は、ミネラル分を取り込む働きをしてくれるので、微生物の餌である有機物が多く、住処である粘土も多いこの地は、ブドウに取り込むミネラルの量はかえって多いかもしれません。因みに、ケイ素は植物の必須元素ではなく、また過剰に摂取しても明確な悪影響がない不思議な元素ですが、植物内でタンパク質輸送体がケイ素を運搬するメカニズムが解明されており、ケイ素が植物の力学的強度を向上し、倒伏や虫害を防いでいることが報告されています。
ということで、なかなかこの地の長所短所を決めつけるわけには行きませんが、特徴としては、フランスの銘醸地と比較して、
・肥沃な土壌と豊富な水と太陽光によりブドウの木は勢いよく成長することができる。
・ただし病原菌も繁殖しやすい。
・さらに、旺盛な木の成長と過剰な水により、ブドウの実は未熟で水分過多になりやすい。
・豊富な土壌微生物がブドウの生育に寄与してくれるかもしれない。
ということになり、やはり不利なところが多いかもしれません。まずは、木の成長を抑える工夫、病気を防ぐ工夫が不可欠であり、相当な努力が必要です。この点はやるしかありません。
重要なのは特徴を活かすプラスαは何か?です。僕が目を付けているのは種子です。ブドウの実は皮と果肉と種子でできていますが、雨が多く育ち過ぎれば果肉は水膨れし皮が破裂します。そこまで酷くないとしても、光合成により生産され果肉に蓄えられた糖質も、皮と果肉に溜まるエステルやテルペンなどの芳香成分も、水膨れによって薄まってしまいます。では、種子はどうでしょう。種子の主成分は子孫へのエネルギー源として蓄えられる脂質です。こちらは元々それほど水分量は多くないですから、水分過多の影響は小さいのではないでしょうか。旺盛に成長した分だけ脂質はたっぷり溜まると想像します。さて、脂質にも様々な種類がありますが、脂肪酸と各種アルコールが結合したものがエステルであり、脂質が加水分解によって作られる有機溶剤に可溶な化合物の一つがテルペノイドです。つまり脂質は芳香物質を含んでいるのです。一般的には種子はポリフェノールが多く苦味渋味を出すので、できるだけ避ける方が良いとされています。しかしポリフェノール自体ワインの材料として不可欠ですし、薄くてシャビシャビよりは、材料に溢れている方が、良いに決まっています。ということで、種子が旺盛に生育すれば、芳香成分が薄まるという短所を補い、逆に、濃くするという長所となり得るのではないかと考えます。
その具体的方法は未だ素人の浅知恵ですが、例えば、果粒の肥大周期は第Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ期に分類されますが、果肉と種子の間で養分競合が生じ、果粒の肥大が停滞する第Ⅱ期の直前に摘芯し、種子の成長を促すとか、早期に除葉し果粒自体の光合成を活発にして果粒自体への有機酸や糖の蓄積を増大させるなどが考えられます。
これは、牛肉でいうところのサシを入れることに通じるのではないでしょうか。何となく日本らしくもあります。ということで、ドメーヌ・ヒサマツの栽培方針の一つは「サシの入ったブドウを目指す」で行きたいと思います。もちろん、普通に果粒としての成熟も目指すのですが、秘策ということです。
(2023/1月)